RedBull X-Alps(以下、Xアルプス)8連覇の絶対王者、クリスチャン・マウラー。彼には一体何が見えているのだろう? 彼のフライトを直接見てみたい、できることなら一緒に飛んでみたい! なんて、パラグライダーパイロットなら誰もが一度は夢想したことがあるのではないだろうか。
普通なら「ま、無理に決まってるけど」と、それ以上の思考には至らないところだが、2024年の夏、この夢を実行し、実現させた日本人パイロットがいる。
田村康子さん、フライト歴34年。今回紹介するのは、彼女のその貴重な体験を綴ったレポートだ。
レポート「還暦女子、クリスチャン・マウラーに会いに行く」
Report, Photo & Video: TAMTAM(田村康子) Special Thanks to Christian Maurer
1.還暦記念のスイスツアー、その真意
2.Xアルプスに惹かれる
3.2013年Xアルプス応援ツアーに参加する
4.自己分析:ミスターXアルプスと飛べる?
5.クリスチャン・マウラーの第一印象
6.クリスチャン・マウラーとテイクオフに登る
7.クリスチャン・マウラーの仕事を垣間見る
8.クリスチャン・マウラーとの対話
9.絶対王者の生まれる場所
10.最後に
11.動画レポート
※ 神様と飛びたい!と思ったら…【現地ガイドの紹介】
1.還暦記念のスイスツアー、その真意
パラを本気で飛べるうちに、クリスチャン・マウラーとセンタリングしてみたい!
還暦記念にと企画した今回のスイスツアーは、その1点のみを目的としていました。
メンバーは、平均年齢59.5歳、男女2人ずつの4人チーム。そしてスイス在住の宇野登茂子(ともこ)さんに現地ガイドをお願いしました。
先日Facebookに動画レポートをアップしたところ、それを見た何人かの人はクリスチャン・マウラーが私の「推し」だと解釈したようですが、少しニュアンスが違います。実は私はクリスチャン・マウラーがどんな人かも知りませんでしたし、Xアルプス以外で何をしている人なのかにも興味がありません。
では、なぜ還暦記念にこのテーマを選んだのかというと…
2.Xアルプスに惹かれる
私はもともとXアルプスというレースそのものに、とても心を惹かれていました。まだアレックス・ホッファーが勝っていた頃(2005~2007年)からです。
2011年まで、Xアルプスの最後のチェックポイントはモナコの海まで5km地点にあるモングロ(Mont Gros)でした(*)。そこからファイナルグライドで洋上のフロートLDを目指す。モングロにたどり着けば、それは完走ということです。
*編注:2013~2019年の最終チェックポイントはペイユ(Peille)となり、ここからモナコの海に浮かぶフロートに向けてテイクオフした。2021、2023年のゴールはツェル・アム・ゼー(Zell am See)に変更となった。
2007年に扇澤さんがモングロにたどり着いた時、私はその気持ちを勝手に想像し、自分でもよくわからないほど胸が熱くなったことを覚えています。
それまでの過酷な長い道のりを経て、今ここに立ってファイナルグライドに飛び立つ。それはどんな気持ちなんだろう。
もちろん自分には到底できないこと。でも、その気持ちを想像しながら、モングロのテイクオフに行ってみたいと思いました。そのテイクオフに立って、自分もこのレースの完走者の気持ちに思いを馳せたかったのです。
3.2013年Xアルプス応援ツアーに参加する
2013年、扇澤さんと只野さんのXアルプス応援ツアーに参加しました。
もし来世ということがあるのなら、次の人生ではXアルプスのサポーターがやりたいな、なんてホンワカ思っていたのですが、実際にサポーターの皆さんの働きぶりを見て、たとえ生まれ変わっても自分には無理だと思えました(笑)。
この時のスタートは、私たち日本人サポーターにはつらい場面でした。ザルツブルクから駆け上がるガイスベルクのテイクオフポイント。物凄い数の観客でテイクオフスペースは狭く、慌ただしい。風もやや強めでしたが、それでも選手はどんどん出ていき、都度歓声が上がります。そこで、なんと扇澤さんの立ち上げた機体はクラバットしたまま出てしまい、TO左サイドの高い木にツリーするというアクシデントに見舞われました。サポーター総出で回収しましたが、機体はすぐには使えない状況でした。
それまで彼がどれほどの準備を行い、トレーニングをしてこれに臨んできたか、もちろんその実態は知るよしもありませんが、私の想像も及ばないものだったに違いありません。
2年に1度というこのXアルプスという競技の一面を目の当たりにした気がしました。そして、そんなアクシデントがあり出遅れながらも、扇澤さんはその後のレースを全力でやり切っていたのも、ムネアツでした。
そんな厳しくも壮大なロマンあふれるこのレースに、絶対王者として君臨するのが、クリスチャン・マウラー、その人です。一体どんな人なんだろう。まさにミスターXアルプスと言える彼は、きっとこの競技の何かを体現しているに違いない、そう思ったのです。
4.自己分析:ミスターXアルプスと飛べる?
Xアルプスにはとてつもない技術・体力・精神力が求められます。
一方私はというと、軟弱で根性なしで、過酷なことは避けて通りたい、本質的ぶっ飛び主婦。単なる週末パイロットとしても、体力や運動能力や度胸がなく、要するにパラグライダーをやるための資質に大きく欠けているわけですが、なぜか飛ぶのが好きでやめられないまま30年以上続けてしまいました。
さすがにこれだけ長くやっていると、どれほど資質がなくても、経験と知識と人脈で人並みには飛べるようになったと思います。
でも、ここ数年の自分の身体的劣化を考えると、本気で飛べるのもあとわずか。今のように、毎週末コンディションに合わせて飛ぶエリアを選択して何時間も運転し、春になったらクロカンしてザックを背負って電車・バス、というスタイルは難しくなってくるでしょう。
Xアルプスは自分とは対極的なパラグライダーのスタイルであり、憧れと言うにも恥ずかしいくらいの距離がありますが、60歳を目前に、今ならまだ3~4時間飛んで電車で帰ってくることだってできます。それが可能なうちに、ミスターXアルプスとも言えるクリスチャン・マウラーと飛びたかったのです。
5.クリスチャン・マウラーの第一印象
スイスツアー4日目。実際に会ったクリスチャン・マウラーは、想像よりもずっと柔らかい感じの人でした。どれほどストイックでクールな人なんだろうといろいろ想像を巡らせていましたが、非常に細やかな配慮の行き届いた人でした。
今回私たちは彼のプライベートレッスンを受講したのではなく、単に「一緒に飛んでください」というオファーをしたわけで、スイス在住のパラ・山岳ガイドの宇野さんに言わせれば、「最初は皆さんが何を求めてきているのか、マウラーのほうも戸惑っている様子だった」ようです。
朝のミーティングで、彼は私たちの希望や疑問点をとても丁寧に聞いてくれました。気象やエリアの説明も、プランABCも分かりやすく説得力のあるものでした。
もちろん彼はプロフェッショナルなパラグライダーの指導者であり、心理学を学んだ上でのコーチング技術も持ち合わせていると聞いていたので、それは彼の個性というよりは職業上のスキルかもしれませんが。
6.クリスチャン・マウラーとテイクオフに登る
テイクオフの場所は彼が決めました。
当初は私たち4人が歩けないということを考慮して、ケーブル山頂駅のすぐ横に設定してくれていました。
けれどその場所からサーマルを捕まえるには少々弱い感じで、サーマルを捉えきれず降ってしまう可能性がある状況。それは私たちにもはっきりと分かりました。
彼は「上のテイクオフ、歩くけどどうする?」と聞いてくれました。かなりの急斜面でしたが、全員一も二もなく「登る」と即答。でも実際に登りだしてみたら、女子2人はかなり足元がおぼつかない。マウラーは即座にSちゃんのザックを引き取り、彼自身のと2機一緒に背負って先に歩き出し、そして私には、その場に自分のザックを置いて空身で登るように言いました。
TOへの登山道は1本で、当然彼がその道を上から戻ってくると思っていたのですが、すれ違うことはなく、私が山頂でまだ息をゼイゼイ言わせていると、彼が私のザックを背負って道ではないところを登って来るのが見えました。彼は最短距離の直登ルートを降りてまた登ってきたのでした。まるでなんでもない様子で。
そしてTOでは一言も発せず、ちゃちゃっと準備して、流れ作業のようにテキトーなテイクオフをしていきました。
風のタイミングなんて一切はからず、驚くほどテキトーな感じで。あとで動画を見直しましたが、あんなテイクオフをしたらスクール生なら指導が入るんじゃないかと思うほどに。
その様子は、まるで自分ちの庭につっかけをはいて出ていく人のようでした。足元のつっかけや庭の路面状態なんていちいち確認しないし、つっかけの置き場所が悪くて少々身体が傾いても気にしないのと一緒です。
飛ぶという行為は、この人にとっては息をするとか歩くとかというレベルと同じもの。ましてやホームエリアでコンディション的に問題ないとなれば、本当に「つっかけ」レベルのことなのでしょう。
7.クリスチャン・マウラーの仕事を垣間見る
テイクオフのテキトーさと比べてその後の彼のフライトは、仕事としてとてもきっちりしたものだったと思います。
私は今まで多くのコンペティターや名人・妖怪級の方々と飛ばせてもらう機会がありましたが、彼のガイドと飛びは、その意図がずば抜けて分かりやすいものでした。
無線での指示は数回しかなかったものの、「ここで上げて」「一緒に回すよ」「もうちょいバンク」「はい、スタート」「この辺で上げてて、自分は奥探ってくるから」みたいなことが、なぜだかちゃんと伝わるのです。
今回レポート動画の編集作業を通して分かったことがあります。
私たちは事前に動画を撮ってほしいというお願いをしていて、後からもらった25ファイルには2種類の動画ファイルが入っていました。おそらくGo Proと手持ちカメラの2台で撮影してくれたそれらの動画の中で、まったく同じシーンを同時に撮ったものがありました。
N氏のテイクオフと、まだ準備中の残りのメンバーを撮ったその場面は、最初は単純にかっこいい動画だなと思うだけでしたが、編集作業でその2つを見比べるうち、彼がかなり意図的にフライトシーンを切り取り、画角を狙って撮ってくれていたということに気が付いたのです。
彼の技術の高さはもちろん、仕事として”こういう風にやろう”という計画性や意図が伝わってきました。
25ファイルは単に繋げただけでもサマになりました。
前々からXアルプスは情報戦だと認識していましたが、それに加えて、準備の入念さや計画性とが卓越しているのだろうと感じられたのでした。
「動画撮ったよ」と見せてくれる、マウラーの動画。
8.クリスチャン・マウラーとの対話
今回フライト時間そのものは2時間もない短いものになってしまいましたが、その分降りてからずいぶん長い時間話ができました。
フライヤーというのは不思議なもので、一度一緒に飛んでしまえば 理解が深まり、心の距離が縮まるように思います。というのは持論に過ぎませんが。
朝のミーティングの時に漂っていたぎこちなさや緊張感が解消した対話は、本当に楽しいものでした。
私たちは、かなり聞きたいことを遠慮なく聞いてしまいました。
「何歳までやるの?」(そんなセンシティブなこと聞くかな)
「食事制限とか食べないものとかあるの?」(そんな個人的なこと聞くかな)」
「今の機体が古いんだけど次は何がいいかな?」(個人的機体の買い替え相談かい!)
と、自己突っ込みを入れたくなるほどに。
さらにはこのパラグライダーの神様に、「ツリーランしたことある?」みたいなことまで聞いてしまったのです。ちなみにその答えは「ない」と一言でしたが、我々が「えー!本当?」みたいな反応すると「いや、ほとんどない」と訂正。機体だけを少し引っ掛けてしまったことはあるようです。
あとでたまたま、極狭小地に降りてキャノピーを引っかけている画像を発見。それは信じられないくらいの狭小地でした。
たくさんの興味深い話を聞くことができましたが、中でも去年のXアルプスで、チェックポイント13に向かう乱気流の谷を彼1人だけが切り抜けた時の話は強く印象に残っています。
「その時はもう7時間もずっと、強い風、強いサーマルでハードな飛びをした後。自分が想像するに、他の選手は疲れていて、もうその谷でソリューションを発見するモチベーションを持ち続けることができなかったんじゃないかな。
でも、自分は平気だった。7時間のハードな飛びの後でもソリューションを発見し続けるモチベーションがあった。なぜなら自分は、飛ぶのが好きだから」
そして、こう続けたのです。
「人によっては7時間も8時間もオフィスワークを続けて、それでもどんどんクリエイティブになっていく人がいるけれど、自分はオフィスワークだと5時間もやったら疲れてコーヒーブレイクが必要になる。でも飛ぶのは大丈夫だ」
それは単なる持久力の差と言ってしまうこともできるかもしれませんが、そうではなく、言葉の端々に、とにかく飛んでることが好き、というニュアンスを強く感じさせたのでした。
筆者注:マウラーの発言は、私の英語理解不足のため正確性に欠ける可能性があります。
人のエネルギーやモチベーションの源泉みたいなもの、それを察するのはキャリアカウンセラーである私の職業的スキルの1つですが(英語の聞き取り能力が貧弱なので日本語で傾聴してるのの3割くらいしか分からないけど)、結局この人は「飛ぶのが好き」というところが1番根っこのところにあるのでしょう。そのシンプルな思いの強度が並外れていて、そして本人の生来の資質と環境要因、これがピタッとはまって、我々の知る絶対王者クリスチャン・マウラーになったのだ、と私は解釈しました。
9.絶対王者の生まれる場所
今回のツアーでは、ずっとフルティゲンの谷に滞在しました。マウラーの出身エリアで幼少期の生育地であるアーデルボーデンは、その谷の端っこのほうにあります。ここに8日間、暮らすように滞在して、谷の中のテイクオフポイント数か所に登って、飛んで、地元のフライヤーにたくさん会って、強く感じたことがあります。
それは、ここでパラを始めたら、Xアルプスみたいなハイク&フライをやりたくなるのは必然ということ。
尾根を1つ超えてだめでも、そのすぐ下に降りればまたテイクオフできます。サーマルは比較的高いところから出るので、サーマルヒット率を上げようとすれば登らざるを得ません。谷の反対側でも普通に飛べていて、ちょっと谷渡ってだめだったらそこで降りてまた飛ぶか、という気になるのです。
社会的に降りていいかどうかは別にして、物理的に降りられるところはそこら中にあるし、しかもそれが見える範囲の中で広大に広がっています。
トップランなんて、やったことあるとか出来る出来ないという問題じゃなく、もうそれが当たり前のように通常のフライトの中に含まれます。
テイクオフは足元の傾斜がものすごくきつかったり、ガレ場だったり、もちろん整備された場所じゃなくて牧草地だから牛が歩いて凸凹だし牛糞だらけ。
だから多くのフライヤーは、私たち日本人フライヤーに比べて非常に身軽な装備で飛びます。急斜面の凸凹をさっと歩いてキャノピーを広げ、身軽に飛び出します。私たちが重たい装備を背負い、急斜面をヨタヨタしながらキャノピーを広げるのとはまったく違います。
特に私には完全整備の都市型エリア育ちなので、そんな身軽さが求められるテイクオフは非常に厳しかったのでした。自分の体力・筋力を超えたゴテゴテとした装備を持って飛ぶことに、少し恥ずかしさを覚えました。
10.最後に
マウラーはこの谷で、9歳の時に初めて単独フライトをしたそうです。その後スイスのパイロット証が取れる16歳までの間に、おそらくショートフライトみたいなことをずっと繰り返してきたのでしょう(いや、普通に飛んでいたかもしれませんが…)。
彼は、「最初に飛んだ時、これは自分のためのスポーツだと思った」というような発言をしていました。
“好き”ということに理屈はありません。後からいくらでも理屈付けや意味付けはできるけど、本当のところ、それは自分では選びようのないことなんだと思います。
だから私が、資質がまったくないのを分かっていながらパラグライダーを34年も続けてしまったのも、まあ仕方がないんじゃないかなと思います。飛ぶのが好きだから。
今回の話をまとめると、まったく資質や才能のないものを好きで続けてしまった凡人が、同じ分野の神様に会いに行ったら、その根底は「やっぱりそれが好き」ということがあって、「好き」の持つエネルギーの偉大さを再発見した旅だったと言えるんじゃないかと思うのです。
「私は凡庸なる者の代表だ。彼らの守護神だ。凡庸なる者よ。君たちの罪を私は許そう」
―英国の劇作家ピーター・シェーファー作 舞台『アマデウス』サリエリのセリフより
11.動画レポート
今回、初めて自力で動画編集ソフトを使い、動画レポートを作成してみました。
ちょっと過剰なBGMは私の気分の高揚度です。
彼の柔らかい印象や、仕事のレベルの高さ、そしてX-ALPSでは見ることができないフレンドリーさが伝われば幸いです。
※ 神様と飛びたい!と思ったら…【現地ガイドの紹介】
このレポートのツアーガイドを務めたのは、スイス・フルティゲン在住の宇野登茂子さん。
今井浜フライングスクールにてP証取得後、大会に参戦しながら日本全国を飛び回り、その後PWCをはじめとする海外大会を転戦。2014年PWCアルゼンチン女子優勝。ヨーロッパアルプスに魅了されスイスに移住。現在はフライトガイド、タンデムパイロット、ハイキングガイドとして働く二児の母だ。
「パラグライダーのメッカ・インターラーケン、アイガーを目の前に飛べるグリンデルワルト、昨年のX-Alpsではターンポイントとなったクリスチャン・マウラーの地元フルッティゲンなどなど、スイスには息を呑むほどの絶景&有名エリアが目白押しです。参加人数やレベルに合わせて時期や飛び方などご案内させていただきます。また、飛ばないけど山は好きな方へのハイキングガイドもしています」
【お問い合わせ先】
Uno flights & guiding 宇野登茂子
https://www.facebook.com/unoflightsandguiding
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