インド・ヒマチャルプラデシュ州のヒマラヤの麓に位置するビル(Bir)で、10月17日、カナダ人パイロットのベン・ルイスがフライト中に積乱雲に吸い込まれ、標高7374mまで巻き上げられるも奇跡的に生還する、というインシデントがあった。
ベンの使用機体はオゾン・アルピナ4。トラックログによると、彼はテイクオフから尾根に沿って西方向に約65㎞フライトし、同じルートで戻っている途中だった。5時間弱で100㎞ほどをカバーし、テイクオフまではあと35㎞というあたりで雲に吸われたと推測できる。雲中での最大上昇は16.3m/s、時速にしておよそ60㎞/hにも達していた。
高度7000m付近で、本人が後述したところによると「あまりに激しい旋回による強いGフォースによって」意識を失った彼だったが、木にぶら下がった状態で目を覚ました。手の凍傷や網膜出血をはじめとするさまざまなダメージを負っていたが、自分が生きていたことに純粋に驚いたという。
ビルは10月中旬~11月中旬にかけての1か月間、ほぼ100%の確率で絶好のフライトコンディションに恵まれ、3000~4000m級の峰々が連なる壮大なスケールの山岳クロスカントリーを連日楽しめることから、世界中からパラグライダーパイロットが集まる人気スポットとなっている。
実は弊ウェブの中の人である私も、パートナーが催行するフライトツアーのガイド3名のうちの1人として現地に滞在し、この日もイギリス人グループのパイロット9名とともにフライトしていた。
そこで参考までに、ベンと私のフライトログを再生してみた。
https://www.sportstracklive.com/scene/c4f2bce8-967f-4e91-9a28-78f8b287d61e
(クリックすると別リンクで再生されます)
今年は例年よりも気温が高く雲底が低く、なかなか本来のクロカンコンディションとならなかったビルだが、ベンは件の日までの1週間で100㎞超えを3本(最長は169㎞)と、条件をほぼ最大限活かして距離を伸ばしていた。
そしてこの日も、明らかにビッグフライトを狙って最初のサーマルが上がり始めると同時にテイクオフしている。
一方、私たちのグループは9名のうちCクラス機が4名、Bクラス機が5名という構成で、記録には固執せず安全に楽しくクロカンしたいというパイロットたち。サーマル条件がしっかり整うのを待ってテイクオフし、ベンと同じく尾根に沿って西に進んだが、テイクオフから約27㎞地点で雲の発達と、雲底が下がって来たことから引き返した。
その後テイクオフを通り過ぎて東方向に進みかけたが、雲の急激な発達、空域の不安定度が急激に増してきたことからレベル3(飛ぶのに安全ではない状況)をコールし、全員速やかにランディングした。
この時点でベンはまだ帰路の途中。私たちが雲底の低さを理由に引き返した辺りに差し掛かるところだった。
当日の状況を振り返ると、彼は少なくとも2700m時点で雲中に入っていたと推測できる。ここでまっすぐ南(平野)に90度進路を変えていれば、彼はこの後の危機を回避できたかもしれない。しかし彼はまっすぐに進み続け、そして制御不能なほどの恐ろしい上昇帯に絡め取られた。
彼は「他の人が同じ過ちを犯さないように、自分の経験を教訓にしてもらえれば」と、XCコンテストに次のように長文コメントを残している。
「ここまでの2週間、雲は発達していても穏やかな状況でビルで飛び回っていたことで、僕は過信状態に陥っていたと思う。僕はいくつもの明確な警告の予兆を無視してしまった。
状況に対応しようとした時には、進路を変えたり高度を落としたりするにはもう遅すぎた。雲中の嵐は信じられないほどに暴力的で、何もコントロールすることができなかった。上昇の最高地点付近(7300m)で僕はブラックアウトしたが、これは低酸素というより、激しい上昇と旋回によるGフォースのせいだと思う。
Gフォースはあまりに激しくハーネスに座っていることすらできず、僕はただぶら下がって振り回された。フックナイフでラインを切ろうかとも思ったが、手が冷たすぎてできなかった。そして死を確信した。
最後に思ったのは家族のことで、こんな形で家族を残していくことに深い悲しみと自責の念に駆られた。
目が覚めて、僕は(生きていたことに)驚いた。木にぶら下がって、体と地面までは1メートルほどだった。雹が降っていて、手は凍傷になっていて、それから目がよく見えなかった(左の角膜が凍りつき、左目は実質的に失明、右目は網膜出血で中心視野のほとんどが見えなくなっていた)。
左の鼓膜は破裂し、舌を深く噛んでしまっており、右の肋骨後方骨折と左肩の肉離れ、それに首と背中の筋肉痛がひどかった。でも幸い、背骨や手足の骨折はなかった。
クイックパックをタープにし、その下で30分ほど呼吸をしながら座っていた。やがて雹は雨に変わり、やんだ。スマホの電波は届かなかったが、自分の位置は把握できた。
ハーネスから抜け出し、日が暮れる前に電波が届く場所まで移動しなければいけなかった。ジャングルの川の深い谷を爪を立てながら下り、そして渓谷の壁をよじ登ったのは、人生でもっと苦しい2時間だった。そうして僕は仲間たちに連絡することができ、彼らが救助を手配してくれた。
暗闇の中、丘の中腹に倒れ込んでいると、地元の家族が僕を見つけ、彼らの家まで案内してくれた。暗闇の中で目が見えなかったので、文字通り手を握ってくれた。
彼らは僕の体中に刺さっていた植物のトゲを丁寧に抜き取り、温かい飲み物をくれた。彼らは信じられないほど親切で、そして寛大だった(お礼を渡したかったが、彼らは一切受け取ってくれなかった)。
しばらくして、僕の仲間たちが乾いた服を持って来てくれ、家族と涙の別れをし、僕たちはタクシーで帰路に着いた。
生きていることが信じられないほどの幸運で、僕を救助してくれたすべての人に感謝している。この出来事から3日経ち、僕はまだ痛みの世界にいるけれど、状況は改善され、今ではほぼ指を使うことができ、視力さえも徐々に改善している。
僕の願いは、これを読んでいる他のパイロットが僕の失敗から学び、雲や嵐にふさわしい敬意を払ってくれることだ。皆さん、どうか安全なフライトを!」
参考リンク:XCコンテスト Flight detail Ben Lewis · 17.10.2024 · 110.64 km